第七夜10月26日

ディレクターが語る、「今だから言えること」その2


お久しぶりです。ディレクターの柴田です。
前回のコラムが中途半端なところで終わったままになってしまっていました。
続きが気になっていた方、遅くなってしまってすみません。

これからお話しすることは当時作っていたエンディングに関わってくるところもあったため、ネタバレ
を含むということで、これまで掲載することを控えてきましたが、今日、ようやくその話をすることができます。

霊現象じたいは、ささいなものなのですが、そのときの仕事のタイミングとあいまって、私個人としてはかなり気持ち悪いものになってしましました。

ではしばしお付き合いください。



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呼び聲
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会社の寮の霊現象から逃げるように引っ越したマンションは、7畳半のキレイな新築マンションで、下見した当時は霊の気配もまるでない、清浄な場所だった。

その後、いろんなことが起きるのだが、新築だけあって清潔そのものだった。

私の部屋のほとんどは本棚で埋まっている。(まあ、その本も特殊なものばかりなのだが)
それに囲まれるようにして、私が眠るスペースがある。

その、私が寝る場所の、すぐ横には、エアコンの空気が抜けるための丸い空気の抜け穴がある。皆さんの部屋にもあるかもしれない。ある方はすぐわかるだろうが、丸くて、回転させると少しだけ隙間が開くタイプのものだ。

あの夜、3時半を過ぎたくらいである。いろんな事を考えていて眠れずに目を閉じたまま、布団に入っていた。。寝返りを打ち、その空気の抜け穴に向いた瞬間、何の前触れも無く、そこから声がした。

「およぎにいきましょう…」

その瞬間、顔面が硬直したような気がした。目を開けて、その空気の抜け穴を見つめる。
その声は、間違いなく、その空気の抜け穴から聞こえてきたのだった。しかも、聞こえ具合からして、部屋の外から、その抜け穴にぴったりと口を押し付けてしゃべっていたような声だった。

固まったように、空気穴を見つめたまま、じり、じり、と時間が過ぎていく。

その声は、たしかに聞こえた。
低くゆがんだような女の声だった。女といっても、少女というより、30歳くらいの女性の声。どこかで聞いたことがあるような気もしたが、どうも思い出せない…

ありえないことだが、もしかして、誰かが夜中に私の家の壁に口を押し付けてしゃべっているのかもしれない…想像すると、そっちもかなり怖い。しかし、こんな時間に空気の穴に口を押し付けて喋る女って一体誰だ?

少しでも動けば、何かが聞こえるはずだ。しかし、耳をそばだて、空気の抜け穴を見つめたまま10分、20分…と固まりつつ見ていても、向こうの女が動くような気配は無い。
その空気の抜け穴の上には、ちょうど窓がある。その女が立ち上がれば、カーテンがかかっているとはいえ、人影が写るはずだ。
しかし、いくら待っても、カーテンには、なにも写ることはなかった。

そのうちに、4時をすぎたのか、空が明るくなってきた。朝刊を運ぶ自転車の音が、家の前を忙しく通り過ぎる音がした。

それをきっかけに、思い切って立ち上がり、窓を開けてみた。

外はぼんやりと明るくなっていた。私の部屋の横はすぐ塀になっており、人がやっと一人通れるくらいの狭い路地だ。
そこには、誰もいなかった。

あの時の声は、一体なんだったのだろう…?

実は、その時ちょうどゲームのエンディングを作っていた時だった。
刺青の聲のエンディングで、主人公・怜は大きな黒い海に出る。そこは、この世の果ての岸、この世とあの世の境の黒き澤だ。
その海を渡れば彼岸である。
エンディングでは、その海が開き、死者たちは、その黒い海を、向こう岸へと渡っていく。
ちょうどそのシーンを作っていた頃だったのだ。

おそらく、あの声は、私に向けられた彼岸への「呼び聲」だったのだろう。そう考えると、意味深なものがある。当時の私は、精神的には心の半分は果ての岸にいただろうから。

あの聲が、今でも耳に残っている。

 

これで「今だから言えること」は終わりです。もしかしたらまだ続いていくのかもしれませんが、私にとってはこういう"ありえないこと"はもはや日常の中に溶け込みつつあります。ネタとして出していく機会もしばらく無いでしょうが、これからも収集は続けていくつもりです。

ここまで読んでくださってありがとうございました。



そのついでにもうひとつ。

これは霊体験でもなんでもない、ある日の夢なのですが、どうしても書き残しておきたくなったので、お時間のある方はどうぞ…(これもネタバレになりますので、エンディングを迎えた方のみご覧下さい

〇月〇日

久しぶりに実家に帰った。
慣れない礼服を着て、葬式めいた儀式に参列する。その儀式は、法事だか誰かの何回忌だかは聞かされてはなかったが、とにかく古い寺に行き、参列した。すでに儀式は始まっていて、親戚一同が並ぶ中、僧が読経をあげている。遅れた私はばつがわるく、めだたないように末席についた。
儀式は、妙にしめやかに進んだ。だれも一言もしゃべらず、うつむいている中、僧侶の読経だけが低く響いている。
読経が終わると、僧侶は軽く咳払いをし、一同に向かって「では、本儀の会場へ移動してください」とだけ言った。

誰からともなく皆が席を立ち始め、外へ向かう列ができた。誰も一言も口にしない、厳かな雰囲気だった。
皆は、お堂を出てからいったん道路へと抜け、ある家に入っていく。
その家は、親戚のUさんの玄関口だった。この家の関係者の何回忌かだろうかと思いながら列に続く。
列に混じりながら、私はあることに気づいていた。それをどうしても言いたくなった私は、軽い気持ちで口にしてみた。

「あのぉ…この中に生きてる人と死んでる人が混じっているみたいなんですけど、別々の列になった方がいいんじゃないでしょうか?」

一同が一斉にこちらを見る。
しばらくの沈黙。なにか良くないことを言ってしまったのだろうか?

「ああ、それもそうね」と、仕切り屋のKおばさんがと独り言のようにつぶやくと、列はさっと2つに分かれた。
生きている人は右手に、死んでいる人は左手に。

「それで、あンたはどっちだっけ?」

Kおばさんが私に尋ねる。そうだ…私はどっちだっけ?
私は…私は…
しばらく悩んでいると、左手から女の人が現れた。私には、列から出たというより、左手の植え込みの中から出てきたように思えた。
それは、Mおばさんだった。おばさんといっても、死んだときの年齢なので歳は30くらいだ。
あのときには私はまだ中学生で、記憶の中には、よく遊んでもらったときの楽しいものしかない。
おばさんは、ややうつむき加減で目を閉じ、口を少しだけ開いてしゃべり始めた。

「私は…」

ぼそぼそとした、小さな声だった。

「私は…私は、どうして死んだのか。どうして…どうして…あれからずっとそのことばかり考えてる…」

Mおばさんは、私より若い年齢で病死したのだった。突然の訃報だった。すでに現代では克服されたはずの病気。しかも、そんなに若くて幸せになったばかりなのに死ぬはずはない、誰もがそう楽観的に思っていた…

「どうして…どうして…」

おばさんは、しばらくM繰り言のようにつぶやいた後で、私に問いかけた。

「ねえ、あなたは、どうして生きているかわからないんでしょう?」

唐突な質問に、どう答えていいかわからずに呆然とする。

「だったら…こっちに来なさいよ」

Mおばさんはフィルムをスローモーションにしたような動きで、ゆっくりと手を伸ばしてきた。
「えーと、私は…」
私は、どうして生きているんだろう? 何か理由があるのだろうか?
白い手は、ゆっくりゆっくり伸びてくる。ゆっくり、ゆっくり。
そうだ、私はどうして生きているんだろう?
…わからない。どうしても理由はわからなかった。

私はMおばさんが大好きだった。だから、左の列でもいいんじゃないか…

白い手が私の手をつかむ寸前に、強烈な悪寒が走って、私は思わず大声を上げた。
「わ、私がっ!」

「私が生きているのは、あなたが死んだからです。あなたが死んだことが、私が生きている理由です!」

…自分でも何を言っているかわからなかった。めちゃくちゃだ。とっさの言葉にしてもでたらめすぎる…

ふと、Mおばさんは何かに気づいたような顔になり、その手が止まった。
そして、まるでフィルムの高速逆再生のように茂みの中に入っていくのを私はそれを呆然と見ていた。

どこかで老婆が爆笑する声を聞きながら夢から覚めた。


あのまま手をつかまれていたら、私はもう目覚めなかったのだろうか。それとも、またいつもの悪夢だったのだろうか。それはわからない。

ただ、最後に自分が叫んだ言葉は鮮烈に覚えていた。自分が言ったのに、自分が考えていったのではない、妙な感覚があったからだ。
その意味を考え続けて、ずいぶんたった頃、ひとつの短歌と出会った。

ひとつの死は その死者の中に 棲まひゐし 幾人の死者を とはに死なしむ
稲葉京子歌集『天の椿』より

もし、私も死んでいたら、Mおばさんと私が共有した時間は、だれも知らない、無かったことになるという単純な事実。そうなると、Mおばさんは完全に死んでしまうことになる。

大切な仲間が死んで、その死が自分に原因があるのではと思い、後を追うことを考えていた時にも、この夢と短歌を思い出した。

それによって、死ぬ理由を生きる理由に逆転できた気がする。


そんなことに気づき、この死者を扱う零というゲームをを締めくくるエンディングが、

   大切な人を失った「生き残ってしまった人間」の痛みが和らぐことはないけど、
   それでも「失ったことこそが生きる理由」だと気づき、生きて行くというシナリオ

にならないかと、エンディングを作っている時に考えてました。

このゲームの主人公・怜にとって、生きる痛みは結局は和らぐことは無いけど、優雨を失ったことこそが生きる理由だと気づくところや、怜は優雨と一緒に逝きたいけれど、怜ひとりの死が、その人の中にいる死者たちも生きる者も殺してしまうという優雨のメッセージは、はっきりとは語られないまま、ユーザーに投げています。

ゲームのキャラクターが明言するのではなく、プレイヤーが気づいてくれれば…と思っていました。
あのエンディングについてはいろんな感じ方があると思うし、ユーザーがそれぞれに感じてもらえればよいと思います。

ただ、私は、この夢の話をいずれどこかでしたかった。そして、こんなことを考えながらゲームを作っていたんです、という独り言のようなつぶやきで終わりたいと思います。

それでは、ごきげんよう。

Project ZERO ディレクター 柴田 誠