百鬼夜行によせて

あの体験をしていたのは、小学生くらいまでだったと思う。

私の実家は、開けた長い田舎道のちょうど曲がり角にあるのだが、
夜中、布団の中で目覚めると、その道を何百という"気配"が
やってくることがよくあった。
ヒソヒソ話のような押し殺した声で、
聞き取れない何かを語り合いながら、ゆっくりとやってくる、
道幅いっぱいの"気配"たち。
その長い田舎道の途中には、小さな神社がある。
どうも、その"気配"たちは、そこからやって来ているようだった。
そして、家の前のカーブを曲がると、スーッと消えていくのが常だった。

幼い頃から次第に慣れていった所為か、怖いというよりも、
不思議だという感じで、その声を聞いていた。
ただ、その行列を絶対に見てはならない、
という事だけは本能的に感じ取っていた。
その行列を見た途端、その"気配"たちはこちらに方向を変えて
やって来るのではないか、という幼い迷信があったのだ。

父から壊れかけのカメラを与えられた時、真っ先に思ったのは、
あの行列を直接見ずに写真に撮るとどうなるんだろうか、ということだった。
自分が見なくても、撮った瞬間、その"気配"たちは、
こちらに殺到するのではないだろうか?
私が連れ去られた後、誰もいない部屋に残ったカメラの中には、
一枚の写真だけ残されている…そんな光景を想像した。

結局、その計画は実行せずじまいで、乱暴におもちゃにされたカメラは
すぐに壊れてしまった。

しかし、もし、その写真を撮っていたとしたら、そこには何が写って
いたのだろうか?
もう、あの声を聞くことはないが、今でもあの"気配"
は何だったのだろうと思い返すことがある。

…あのささやき。  
…どこかに連れていかれそうな、あの感覚。

私は、このゲームの中で、あの時の、ありえないものが発する"気配"を再現できたらと思った。その感触を再現する試みは、画面の感じはもちろん、
霊が発する予感音、画面のノイズ、振動…等で、ある程度達成できたと思う。

ついでに、幼い頃聞いていた"気配"の声を、私が真似をして吹き込み、ゲーム
中で使わせてもらった。
このゲームの「本物らしさ」の感触の一助に
なれば幸いである。

柴田誠 (ディレクター)